グループの連合体労組だけでも二十五万人の組合員をかかえていたことがある。
そのような巨大な組織体の頂点に「銀座通産省」はそびえ立っていた。
日産本社をそう呼んだ人たちの意識のウラがわにはどんな感情があったのだろう。
畏敬の念でもなければ、さりとて侮蔑でもない。
そこにあったのは「本社はエライのだ!」という考え方になんら違和感を感じない集合体が出来上かっていたという事実だ。
「上」と「下」、「上流」と「下流」という固定観念が、知らず知らずのうちに本社の敷居を高くしてしまった。
もちろん本社の連中が下流にむかって、本社を一段上に見よ、などと強要するわけはないし、そう言った憶えもないだろう。
しかしそのような雰囲気がグループ内の既成秩序として定着していくことに、本社がまったく不感症であったことは事実である。
グループ統治の方法として、それが秩序正しい当たり前のあり方だと考えていたフシがあったのを否定はできまい。
とくにこのような風上が目立って助長された時期がある。
それが十六年という超長期政権にしがみついた川又克二社長のときである。
オーナー会社ならいざ知らず、見方によれば日産ほど典型的なサラリーマン会社は他にない、とまで言われた会社である。
川又が独裁者であったと書くジャーナリストもいるが、必ずしもそうは思わない。
専横ぶりが目に余ったわけでもない。
しかし、ただ言えることは、川又が上半身をそっくりかえし、顎をしやくっていたような印象を周りにまき散らしたことはたしかだろう。
だから黙っていても、「本社の重役がエラすぎて、とても差しでは話ができない」ディーラーの代表者からもそんな声が聞かれるようになってしまう。
そうなると周りには敬して近寄らない連中がふえることになる。
本社が強大な力を持ち過ぎるとどうなるか。
とくに相手がディーラーとなると、言いたいことを言えないまま、そのくせ本社の顔色ばかりうかがうようになる。
マーケットのことやユーザーのことは二の次になってしまう。
そういう風土になることが恐ろしいことなのだ。
異業種の大企業で、ある支店長からこんな話を聞いたことがある。
「当支店の交際費の大半は本社の連中の接待に使われている。
毎年二度行われる社内監査の折りには、夜の接待は相手が喜ぶよう趣向をこらし、帰りの土産には土地の名産品を用意する。
長いあいだの我が社のしきたりなんだ」まだそのような古い慣行を残している会社があるのには驚かされる。
その会社がいまどういう状況かは想像するまでもない。
競争力を失い、改革派リーダーが率いる後発の会社にどんどんシェアを食われている。
日産が同じようなことをやったとはいわないが、ある時期、本社風を吹かす連中が目立つようになったと耳にしたことがある。
かなり以前の話だが、じつは病に冒されたのはさらに古い時代にさかのぼる。
強大すぎる本社が犯す過ちほかの飛ぶ鳥をも落とす勢いであった日産の青い鳥、ブルーバードが宿敵トヨタのコロナとのあいだで交わした激戦、世に言うB・C戦争で疲れを見せ始めたころ、この栄光の名にドロをぬるようなクルマが登場した。
私もそのクルマを買った一人として、お世辞にもいいクルマであったとは言えない。
ブルーバードUのことである。
正直言って、技術の日産とは聞いて呆れる、という感想しかなかった。
誰がこんなクルマを造ったのかと言いたくなったのを憶えている。
嘘か真かは知らないが、あとでブルーバードUのモデルを決めたのは川又克二であったと聞かされた。
それを言ったのは有力業界紙のベテラン記者であった。
当初、開発技術陣が本命としていたのは別のモデルであったという。
デザイン、設計部門は別モデルのほうに力こぶを注いだ。
しかしトップに見てもらうためには比較対象となる当て馬も作っておく必要がある。
ところが、「こっちのほうがいいじゃないか」あろうことか、川又が指さしたのが当て馬のほうであったというのだ。
いま、また聞きの話を書くことにためらいはある。
それがねつ造である危険性があるからだ。
ましてや故人に口はない。
いくら社長のツルのひと声に重味があるからといって、誇り高い日産の技術陣が簡単に自分たちの主張を曲げるとは考えにくい。
さるベテラン記者は話のソースは日産社内だと言った。
しかし内部の人間というのは、この類いの作り話をこしらえるのが実にうまい。
なるほどそうか、と他人を信じさせるストーリーを上手に組立てる者がいる。
だが、問題は作り話なのか、本当にあった話なのか、ではない。
実際はそれがねつ造であったとしても、その噂を聞いた誰もが「さもありなん」と思ってしまうところが問題だと考える。
それはどういう意味か。
まず、独裁というイメージの強かった川又にぴったり合いそうな話だと、みんながそれを信じてしまうことがいけない。
さらに、ほかにもっといけないことがある。
売り出したモデルが悪評で販売不振に終わっても、それを決めたのは社長だ。
誰ひとり責任を問われることはない。
サラリーマンである以上、無理してリスクをかぶることはない。
ハイ、ごもっとも……と、イエスマンでいるのがいちばん無難である。
たとえ作り話でも、典型的なサラリーマン会社と言われた日産のこと、それが本当のことのように聞こえてしまう点に会社の弱点が潜んでいたように思えてならない。
言うまでもなくこの類いの話は、内部の人間が会社の恥をさらしているわけだ。
さすがにオトナだった記者はそれを記事にしなかったからよかったものの、まかり間違えば売り出したばかりのクルマにどんなキズがついたかわからない。
強大な本社が堅牢に見えても、思わぬところに脇の甘さがある。
本社は小さいに越したことはないと大抵の人が言う。
そうだと思う。
本社の力が強大すぎて、周りからの意見すら聞かれなくなったら危険である。
敷居は低いほうがよい。
いや、会社もバリアフリーであったほうがよい。
だいたい社内が口を貝にした社員で占められてくると、組織が目に見えない部分から根腐れを起こしている。
本社を一段上と見なすような潜在意識が、出先や系列の連中の口にチャックをかけることになる。
本社の目線は常に相手と同じか、時には相手より下へ向くくらいでちょうどよい。
相手はただでさえ高い敷居を跨いで入ってくるわけだ。
本社が目線を下げてくれないと、とても本音で腹を割った話なんかできるものではない。
企業小説で書かれて受ける会社のダメージ小説は虚構である。
だから面白い。
ところが企業小説とよばれるジャンルのもので、はたしてこれがフィクションだろうかと思われるくらい、事実にそっくりのことが書いてあるのを目にする。
モデルになって登場する会社や人物が、すぐにそれとわかるようなものが多い。
なかにはドキュメンタリー小説と銘うって、実名で書かれたりすることがある。
それにもかかわらず企業小説は面白い。
書き手の構成力や表現力により差はあっても、総じてわかりやすくて面白い。
事実は小説よりも奇なりといわれるが、企業小説が面白いわけは、書き手がモデル側から名誉毀損で訴えられるのではと、パラパラさせられるくらいの気迫で書いているのが読者に伝わってくるからだと思う。
とくに綿密な取材をもとにしたもので、これは裁判沙汰になるのではないかと思われるくらい事実に迫っていくものは、必ずといってよいほど面白い。
作り話が多くまぎれ込んだ作品は、なんとなくそらぞらしく感じてしまうのはなぜだろう。
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